タテモノ日記.016
またまた、前回の更新から時間が空いてしまい、
いつの間にか、夏が来て・・お盆ももうすぐ終わってしまいます・・・。
前回、山陰の続きで菊竹さんの建物の紹介・・と思っていたのですが、
今年で戦後70年という節目ということもあり、私の地元の広島の建物をご紹介したいと思います!
広島で一番初めに紹介したい建築と言ったら、やはり何といっても、
平和記念公園に建つ、平和記念資料館です。
設計は、このタテモノ日記でも何度も紹介させてもらっている、丹下健三さんです。
この建物は、もう説明がなくても修学旅行等で実物を見たり、8/6のTV中継で見たりと、一度は目にしたことがある建物ではないかと思います。
では、もう少し詳しく紹介していきまししょう。
竣工は、1955年。終戦から10年後です。竣工当時は、縦ルーバーの間に、横ルーバーがあったり、ピロティの天井の梁が表わしだったり、両サイドの渡り廊下はなかったりと、幾度の増改築で少しずつ変わって来ているようです。
この平和資料館は、ピロティにより建物が空中に浮いて見え、縦ルーバーによる、凛としたたたずまいに見入ってしまいますが、実はこの資料館は単体で計画されたのではなく、平和公園・原爆ドームと都市計画まで含めた大きな軸の一つとして計画されているのです。
資料館の前の、平和大通り(通称:100m道路)と直交して原爆ドームに向かう景観軸を定め、その軸上に慰霊碑・原爆ドームがあります。つまり、平和大通りから、資料館のピロティを抜けて、慰霊碑を通して、原爆ドームを見ることができるのです!
資料館が浮いているのは、視線を遮らない・景観軸を通すという役目があるからなのです。
そして、この軸は今でも広島で重要な景観軸として機能しています。
平和記念公園に来た際は、
丹下さんが計画した景観軸の上に立ちピロティを通して慰霊碑、原爆ドームを見てもらえたらと思います。数十年前に計画された景観軸が今もしっかりと見えます。改めて丹下さんの広い視野と都市計画レベルで建築を考えていくことのすばらしさを感じます。
今ここでは、航空写真や、着工当時の写真はないのですが、ネットで検索してもらえると、
平和記念資料館の軸がずっと海までつながっているのが分かります。
竣工当時の写真は、何もないところにこの資料館が建っておりとても象徴的です。
今では周りに高い建物が建って、竣工当時とはかなり変わってしまいましたが、
やはり、力強さは健在で、平和と復興と思いのつまった建物は何年たっても
色あせることがないなと思います。
ちなみに、この海への向かった丹下さんの軸の先には数十年後に建物が建てられました。
そして、その建物もこの軸がつながるように設計されています。
ということで、せっかくなので、次はこの軸の先にある建物を紹介したいと思います!